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なぜ鉱物や宝石を描くのか?という問いについての回答

最近水彩紙レビューばかりだったので、違う文章書こうと思います。
(ちなみに、水彩紙は自分の主観なのであくまで参考に。。。)

「鉱物や宝石を描くようになったのはなぜですか?」とよく質問されます。すごい確率でw
いつの間にかそういう立ち位置になってた・・・というのが正直なところですが、過程の中でいろんな経緯があります。

なぜ描くのか?と問われたら、結論から話すと「私たち人間のメタファーだから」です。
そう、暗喩として描いているのです。

 
鉱物が宝石になるには過程があります。

1、鉱山から採掘する
2、原石として加工工場へ
3、不要な周りの石や汚れを落とす
4、研磨する
5、カットを施す
6、ジュエリーに仕立てる
7、市場へ

こういった段階を経て、ただのきれいな石ころだったものが、高額な値のついたものに変化するのです。

ずっと前、自分が「やっぱり自分は絵しかないなぁ!」と思った人生の転機がありました。
そのとき、この宝石についての話をある人から聞きました。その人は「人間もこのような過程を経て成長すると、美しくなる」と言っていました。
宝石について興味を持ち、自分の絵の方向性と合っていたので、モチーフとして取り込んでみたいと思ったのが最初です。

 
鉱物が宝石になるまでの過程は、人間の人生に似ている。
これを本当に実感したのは、自分が本格的に絵の活動をするようになってからでした。自分自身をみて、「なんて取るに足りないんだろう」と感じました。

自分の原石(=個性)を見つけたはいい。
しかし、周りについている雑な石が多すぎる。雑な石・・・例えば、将来の無駄な心配、憂い。人と比較する心。余計なプライド。そのた諸々。
これを取らないまま、あなたは宝石になろうとするのか?そう思いました。
宝石にならんとするには、痛くても削って磨かないといけないのです。

人間に似ているというのは別の面からも。
宝石や鉱物は、間違った取り扱いをしたら輝きを失います。気の遠くなる程長い歳月かかって創られたものが、ある衝撃で簡単に壊れてしまったり、濁ってしまう。命そのものを反映したかのよう。

 
私にとって絵を描くという舞台は「宝石加工工場」みたいなものです。
また、作家さん方と交流するなかで、ひとそれぞれの原石があるんだと感じました。
磨いている人もいれば、これからの人もいる。それは、「作家として売れる・有名になる」ということではないです。
“人間としてどうなのか”ということです。
磨かれている人は、とっても輝いている!オーラが違うんです。もちろん、原石も美しいです。

 
自分の絵を見た方々がよく「キラキラしてる!心が反映されてるんですね!」と言ってくれたりします。私はその度に「ちっがーう!」と思ってしまう。
なぜなら、絵はあくまで“自分の理想のカタチ”だから。今の自分とは全然比較にならない。
(そして、キラキラ絵描く人が心もキラキラしてると思うなよ・・・毎日泥だらけでほふく前進してんだぞ・・・)

 
“理想像のメタファー”という意味で、私はユートピアと宝石、鉱物たちを掛け合わせて、モチーフとして使っています。
宝石や鉱物そのものも好きですし、見るのも調べるのも好きです。
せっかく描くのでもっと深みが増すように色々調べたりしているうちに、沼にはまってしまった次第です。でもニワカ初心者です。

なんだか纏まっていない文章ですが、私が宝石や鉱物描いてるのを目撃したら、「あ、人間描いてるんだな」とか「比喩なんだな」とか思い巡らせていただければ、幸い中の幸いです。